経営者はなぜ社員にドラッカーを読ませたがるのか あるいはマネジメントでなく自己の成長のために読むドラッカー本について

ブラック企業に勤める友人のB君から、ぼやきのLINEがあった。

勤め先の社長が、なぜか今になってドラッカーにハマり、社員に読ませようとしているんだとか。

やれやれ。

B君の勤め先に限らず、社員にドラッカーを読ませたがる経営者は少なくない。なぜだろう?

そもそも、最前線で働く一兵卒や下士官クラスの従業員に、大組織のマネジメントを説くドラッカーは役に立つのだろうか。

自分ではドラッカーを実践できないが社員にはさせたい

B君、「もしドラ」と「マネジメント」を自費購入し、来週の勉強会までに読破して、所感をまとめておかねばならないとのこと。

なぜか電子本は禁止で、紙の書籍限定だとか。しかも勉強会は完全な勤務時間外。たっぷり2時間。当然サビ残。今どきこんなに黒々としたブラック企業があるんだね。

もしドラはともかく、マネジメントなんてなに書いてるかさっぱりの本を読み通すのはツラい。

ぼくが思うに、企業の経営者が、社員にドラッカーを読ませたがる理由は明確だ。

読んだらいい本だったけど、自分ではできないので社員にやらせたい。

これだけだ。

会社は自身のためにあり、社会貢献はその次に

経営者は強大な権力をもっている。その権力で、組織内ではなんでもできる。

本来、ドラッカーの本に書いてあることは、経営者自身が何度も読み返し、自分でかみ砕き、その権力をもって断行しなければ、意味がない。

あえて「断行」という言葉を選んだのは、ドラッカーが述べていることは、それほど経営者にとってはやりにくいことだからだ。

やりにくい。というか、やれない。できない。やりたくない。しない。

たとえば、ドラッカーは会社組織の存在意義を問う。あらゆる組織は、社会のために存在する、と。

しかし経営者は、社会のためでなく、自身の栄達や保身のために会社組織を運営していることがほとんどだ。

社会への貢献は、その次のこと。

経営者自身の保身よりも、社会への貢献を優先することなど、断じてできないのだ。

会社が儲かるために真摯に働け

ドラッカーは「マネージャーに必要な唯一の資質は真摯さ」と説く。もしドラで主人公がここを読んで号泣するシーンがあった。それほど、ドラッカーの述べる言葉の中でも、ハイライトな部分だ。

真摯であること。読む人によっては、号泣するほどの衝撃を与えるが、経営者は違うことを考える。

「社員が号泣するほど真摯に仕事に取り組めば会社はもうかるだろう」

と。

一兵卒はマネジメントの前に「プロフェッショナル」たれ

「もしドラ」には、弱小野球部がドラッカーのマネジメントで強くなっていくというカタルシスがあった。

「マネジメント」も、物語ではないが、ある種の物語性があり、やはりカタルシスがあり、読む快感がある。

しかし、マネジメントのポジションに就いていない者が、今読むべきかというと、どうだろう。

軍事でたとえるなら組織は、兵卒、下士官、将校、将官……とピラミッドのような階層で構成される。

兵卒や下士官が、「もしドラ」「マネジメント」を一般教養として読んでおくのはいいとしても、最前線で今日を生き残るために、マネジメントよりも優先して学ぶことはたくさんあるはずだ。

そこで、同じドラッカーでも、最前線の兵卒や下士官の立場の人にオススメしたいのが「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか」だ。

ドラッカーといえば、マネジメントや経営論という印象が強いが、個人の成長の分野にも言及している。

個人が「ナレッジワーカー」(知識労働者)として、が21世紀のビジネス環境でどうやって生き残り、成功するのか。本書では「自己の強み」や「自分がいつ変化すべきか」を知るべきだ、と説く。

そして「自分が成長できない環境から迅速に抜け出すこと」をすすめる。新しい挑戦こそが、プロフェッショナルの成功につながるのだ。

今は兵卒として苦しい戦いを強いられていても、それが成長の糧となり、プロフェッショナルとなれれば、いつしか「マネジメント」が必要な場所に立っているかもしれない。

B君の場合はどうだろうか。

この週末に必死こいて「マネジメント」を読破するよりも、「プロフェッショナルの条件」を精読することをすすめておこうか。

▲マネジメントです。正直、なに書いてるかサッパリ。なんだかスゴそうではあるのでまた読み返してみるか。

▲もしドラ。おもしろく、スルスルと読める。

本の内容もおもしろいですが、どうやってこのヒット作が作られ、世に受け入れられたかを分析するのもおもしろい。

▲組織のためでなく、まずは自己が成長するために。

おしまい。