苦痛に耐えるためでなく人生を楽しむために考え続けよう

仕事とはつらいもの。食べていくためにはその苦痛に耐えなければ。

そんな考えかた、古くて前世紀の遺物なんだろうと思ってたら、20代の若い人でもそう考えている人がいてびっくりした。

社会に出たら、人生の大半は仕事してるんだから、そこを楽しくするか、苦痛として耐えていくかで、人生は大きく変わる。

苦痛と楽しさと

ここでいう「楽しい仕事」とは「楽な仕事」ではない。解があるのかどうかわからないことにチャレンジして自分で答えを出していく、ということ。

そのためには、なぜそれをするのか、ということを常に意識していなければならない。これはけっこうしんどい。

組織の中でそんなことしてるヤツは「めんどくさい」というレッテルをはられ、孤立するのがオチ。楽しさを求めてるはずが、つらいほうに進むことになりかねない。

「苦痛の仕事」とは、だれかの支持にただしたがい、仕事するということ。この「苦痛」に耐えることは一切ムダなのかというとそんなことはなくて、なんらかの効果が出てしまうことがあるからややこしい。

仕事を習得するために、ある単純作業を反復するのが最も効果的だとしよう。上司から命じられたA君は、つらいんだけどただその作業を反復し、その結果仕事が上達した。これはよくあること。

しかし、これを曲解し「上司の命に従ってさえいれば仕事が上達し結果が出る」と考えてしまうと、それ以後のA君の仕事人生はどうなるだろうか。

なぜそれをやるのかを自分の頭で考えつくす

いっぽうB君はそんな単純作業の反復に疑問を持ったので、上司に「なぜそんなことをするのか」と質問する。

B君が納得できる答えを得られればいいんだけど、たいていは「めんどくさい」と思われて、仕事はつかいやすいA君に流れていく。

その繰り返し。A君は実績を積んで地位を得て、B君は使えない理屈屋になってしまう。

A君もB君も、仕事人生としてはそれほどハッピーではない。上の例では、B君の上司がデキる人で、B君が喜んで単純作業の反復に取り組むような答えを与えられればいいんだけど、他者に期待してもしかたがない。

この場合の最適解は、「単純作業の反復に疑問を持ったが自分なりにその意味を考えて取り組む」C君ではないか。

なぜそれをするのか、を考えて実行するほど、効果的な練習はない。やりかたによっては、それを楽しむこともできるかもしれない。

考えに考えつくし、その単純作業の反復が自分にとってもはや意味がないものだったら、その組織から出るという選択肢も出てくるだろう。

他者に期待せず答えを求めず

C君のように生きるには、考え続けるしかない。

苦痛を退け、人生を楽しむにはどうすればいいのか。この仕事にどういう意味があるのか。おのれの成長となるのかどうか。

そして、その答えを他者に求めてはいけない。たいていの上司はかつてのA君やB君で、あなたのために思考してはくれない。

ぼくの人生をどうすれば楽しくできるかは、ぼく自身で考え続けるしかない。あなたの人生もそう。

それは、解があるのかどうかわからないのでつらい道程だけど、ところどころで宝物を見つけることもあるし、そのチャレンジそのものが楽しくなってくるはず。

おしまい