「苦痛に耐える」のが仕事ではない 仕事の意味を考え続ければ人生は楽しくなる

仕事とはつらいもの。

食べていくためにはその苦痛に耐えなければ。

▲そんなふうに考えていた時期が 俺にもありました

楽しい仕事とは チャレンジして自分で答えを出し続けること

でもねえ。

社会に出たら、人生の大半は仕事してるわけ。そこを楽しくするか、苦痛として耐えていくかで、人生は大きく変わる。

ここでいう「楽しい仕事」とは「楽な仕事」ではない。

「解があるのかどうかわからないことにチャレンジして自分で答えを出していく」ということを、楽しい仕事と定義しよう。

これは苦しい。答えがあるかどうかわからないことに全力を尽くすわけだから。

だからこそ、うまくいったら相当に楽しい。

仕事を楽しくしていく。

そのためには、なぜそれをするのか、ということを常に意識していなければならない。

誰かの指示に従い続けるという地獄

しかし。

組織の中で、命じられたことに対して、いちいち「なぜそれをするのか」と問うようなヤツは「めんどくさい」というレッテルをはられ、孤立するのがオチ。

楽しさを求めてるはずが、つらいほうに進むことになりかねない。

いっぽうで。

だれかの支持にただしたがい、なぜそれをするのかも考えず仕事をこなす。それって、苦痛じゃない?

苦痛に耐えることで成果が上がることもあるから厄介

厄介なのは、この「苦痛」に耐えることは一切ムダなのかというとそんなことはなくて、なんらかの効果が出てしまうこともある。

仕事を習得するために、ある単純作業を反復するのが最も効果的だとして。

上司から命じられたA君は、つらいんだけどただその作業を反復し、その結果仕事が上達した。これはよくあること。

しかし、これを曲解し「上司の指示に従ってさえいれば仕事が上達し結果が出る」と考えてしまうと、それ以後のA君はどうなるだろうか。

なぜそれをやるのかを自分の頭で考えつくす

いっぽうB君はそんな単純作業の反復に疑問を持ったので、上司に「なぜそんなことをするのか」と質問する。

B君が納得できる答えを得られればいいんだけど、たいていは「めんどくさいヤツ」と思われて、仕事はつかいやすいA君に流れていく。

その繰り返し。A君は実績を積んで地位を得て、B君は使えない理屈屋になってしまう。

A君もB君も、仕事人生としてはそれほどハッピーではない。B君の上司がデキる人で、B君が喜んで単純作業の反復に取り組むような答えを与えられればいいんだけど、他者に期待はできない。

この場合の最適解は、「単純作業の反復に疑問を持ったが自分なりにその意味を考えて取り組む」C君ではないか。

なぜそれをするのか、を考えて実行するほど、効果的な練習はない。やりかたによっては、それを楽しむこともできるかもしれない。

考えに考えつくし、その単純作業の反復が自分にとってもはや意味がないなら、その組織から出るという選択肢も視野に入る。

他者に期待せず答えを求めず

C君のように生きるには、考え続けるしかない。

苦痛を退け、人生を楽しむにはどうすればいいのか。

この仕事にどういう意味があるのか。おのれの成長となるのかどうか。

そして、その答えを他者に求めてはいけない。たいていの上司はかつてのA君やB君で、あなたのために思考してはくれない。

ぼくの人生をどうすれば楽しくできるかは、ぼく自身で考え続けるしかない。

あなたの人生もそう。

それは、解があるのかどうかわからないのでつらい道程だけど、ところどころで宝物を見つけることもあるし、そのチャレンジそのものが楽しくなってくるはず。