サラリーマンやめて起業したらみんながいやがる3つのことが楽しくてしかたがない件について

2017年もあっというまに9月で、セミの声に勢いがなくなったと思ったら、鈴虫がえらく元気に鳴きだした。

今夏は、当分は食っていけるだけの利益を見込める仕事がスココーンといくつか決まり、気づけばサラリーマンやめて起業した2015年の8月から2年が経過していた。

この2年で、サラリーマンしていたころからはずいぶんと自分自身が変わった。起業3年目を走り出した記念に、なにがどう変わったのか、まとめておこう。

朝起きて決めたことを淡々とこなすのがこんなに楽しいなんて

サラリーマンしてたころから大きく変わったのが、朝、目覚めた瞬間から楽しいことだ。

朝は6時に起き、まず体重をはかり、睡眠時間を記録し、瞑想し、骨盤職人で背中や肩をほぐし、コーヒーを淹れ、業務をスタートする。

毎朝、晴れても雨でも決まったことをくり返す。淡々と、確実に、やることをやる。充実して、楽しい。本当に楽しいとはこういうことなんだな、と気づいた。

サラリーマンのころは、満員電車に乗り(本当に満員になる時間帯は地獄なので始発に近い電車で通勤していたがそれでも東京の電車はえらく混む)、なぜか勤務時間前に設定されている職場の清掃や朝礼をこなし、仕事をはじめる、というスタイルだった。

つらい。今思い出してもつらい。夏に汗だくなって出勤するのも、冬に凍えながら出勤するのもつらい。人身事故でしょっちゅう遅延する電車もつらいし、他にもいろいろとつらかった。

人に決められたルールにしたがうのはつらく、自分で決めたルールに従うのははこんなにも楽しい。

長時間労働が仕事を蝕む 生産性を高めれば仕事は楽しくなる

起業して、仕事への意識が変わった。楽しくてしかたがない。

仕事とは本来、お客さん、つまりは「他者」に貢献して報酬をいただけるというすばらしいこと。楽しいことのはずだ。

それが「楽しくない」という人は多い。ぼくもサラリーマンのころはそうだった。その大きな理由のひとつが、長時間労働と低報酬だ。

会社とは不思議なところで、一円にもならないサービス残業を黙々とこなす人びとがいる。というかぼくもそうだった。

やればお客さんが喜んでくれて、それが楽しくてまた仕事をやるんだが、やってもやっても仕事が終わらず、報酬も上がらないと、さすがに「これはなんだかおかしくないか」と気づく。

「おかしい」をごまかしてストレスをかかえてると、人間は簡単に壊れることも見てきた。死んだり病気になったり。

ふくれあがったストレスをかかえて、死なない程度になんとかかんとかやっていくのもひとつの手だ。

でもそれはおもしろくない。

本来は楽しいはずの仕事で、死んだり病気になったりするのは、企業の生産性が低いからだ。生産性を高めれば、仕事は本来の楽しさを取りもどすはず。

それには、サラリーマンやめて自分で会社作るしかなかったんだが、今のところはぼちぼち成功、というところか。

クタクタに疲れた身体を休める夜が楽しい

夜、眠るのが楽しい。

自分で決めたタスクをこなし、仕事を進め、家事もやってると、夕刻ごろにはもう疲れてきて、そこをなんとかがんばって軽めのタスクを消化して、風呂に入ったらもう電池切れで、布団にたおれこむ。これほど楽しい夜はない。

サラリーマンのころも、眠るのは楽しかったが、すぐにやってくる朝が憂鬱でもあった。悩みが頭の中でグルグルして、疲れてるのになぜか眠れなかったり。

今は入眠がとても速くなって、布団に入って3分もすればぐっすり夢の中だ。先に書いたように、朝も楽しい。疲労が回復して、また明日の朝から元気に活動できるのを楽しみに、寝る。

朝が楽しく、仕事が楽しく、夜が楽しいということは人生が楽しいということだ

というわけで、朝が楽しく、仕事が楽しく、夜まで楽しい。サラリーマン時代はイヤでしかたなかったことだ。

なんだか、小学生のころに近い気もするな。それはそれで悪くない。

お金の心配が無くなったわけではない。今の事業規模などまだままごとのようなもので、むしろサラリーマン時代よりも悩みは大きい。

しかし、自分で道を切り拓いていこうという覚悟はあるし、勝つまでバッターボックスに立ち、リングに上がり続けるだけだ。

それが楽しいんだから。

▲「起業」という壮大な絵空事を現実にするには。まずは一行書いてみる。この世の中のあらゆる計画は、そこからはじまったはずだ。

▲サラリーマンでいるとはどういうことなのか。自分で商売するとは。もうすぐ黄金の羽根に、手がとどく。

おしまい。