北方謙三の大水滸伝シリーズをついに読破した
北方謙三の「水滸伝」「楊令伝」「岳飛伝」を読破した。
全51巻という、異常に長く、おもしろすぎるこの小説。
血潮が熱くたぎることもあれば、涙を流しもした。
北方水滸伝の官軍は強いし妖術使いも出てこない
▲12世紀初頭、中国。「替天行道」の旗のもと、梁山泊に男たちが集結する。
替天の旗、烈風を裂け。
熱い。熱すぎる。
林冲が特に熱い。
原典の水滸伝は、民間伝承をまとめた荒唐無稽な物語だ。
北方はそれを、現代的な歴史小説に再構築した。
原典では妖術でいろいろ解決したり、基本的に敵が弱すぎたり、有能な人をだまして策にはめて味方に引き込むようなことが多くて、それはどうなのかという展開で、途中で飽きてくる。
北方は、そういうのを全部排除した。
原典の妖術使いは忍者のような特殊部隊に置き換えたり。
あるいは、経済的なバックボーンを用意することで、梁山泊という反体制勢力に、リアリズムを持たせたり。
北方水滸伝ってなにがそんなにおもしろいんだろう?
▲前作水滸伝の3年後から始まる楊令伝。衝撃のラストは賛否両論だ。
蕭珪材(しょうけいざい)がいい。林冲といい、北方が描く孤高の武人はなぜこれほど胸を打つのか。
再構築した結果、北方謙三の水滸伝は、とてつもなくおもしろくなった。
おもしろすぎて、水滸伝は3回、楊令伝は2回読んだ。
近日中に、また水滸伝から通して読みかえすかも。
岳飛伝を夢中で読んでるとき、彼女が
「なにがそんなにおもしろいの?」
ときくので、なにがそんなにおもしろいのか説明してみた。
調練して、戦争して、うまそうな料理して、たまに精を放って、ひたすら人が死んでいく。
51巻、その繰り返し。おもしろそうだろ?
えー、それおもしろい?
と彼女。
そういえばそうか。この説明だと、まったくおもしろそうではない。
いったい、北方水滸伝のなにがおもしろいんだろう?
仕事が好きなヤツらがいやいや仕事やってるヤツらをぶちのめす物語
北方は、水滸伝を
“革命の小説”
としている。
革命とはにか。
革命する側、梁山泊は、ひたすら仕事が好きな連中が集う。
戦闘力が高い、戦がうまい、金儲けがうまい、知力が高い、足が速い、ハンコを彫るのがうまいなど、スキルの高い者たちが、ひたすら得意なことをこなして、革命を進める。
梁山泊という組織にも、一応は序列があり、トップからボトムへの指揮系統もあるのだが、みながそれぞれのポジションに納得し、好きな仕事に打ちこむ。
文官や武官のように、きちんと役割を負っている者もいれば、明確なポジションはないんだが、トップからなにか命令される前に、自分の仕事を自分で作るような者もいる。
仕事が指示待ちだったり、いやいややっている者は、梁山泊にはいない。
革命という、いつ死んでもおかしくないことやるわけだから、やる気ないやつはいなくて当然なのだ。
いっぽう、革命される側の国家、宋。役人は腐敗し、賄賂を好み、民は苦しんでいる。
一部のトップ層は優秀だが、宋の役人や軍人たちは総じて、それほど仕事が好きではない。楽して甘い汁を吸いたいだけ。
国を運営するという大事な仕事に就きながら、それをマジメにしない者たちが、仕事を好きでたまらない者たちに、革命される。
だから、水滸伝はおもしろい。
滅びの作家 北方謙三 「岳飛伝」も滅ぶのか
▲岳飛伝。水滸伝のころのような息が詰まるような緊張感はもうない。しかし、男たちの戦いを、生を見届けるため、ページをめくる指は止まらない。
水滸伝1巻から60年ぐらいたったのか。革命の物語は中華から日本、モンゴル、シルクロード、タイ、ビルマあたりまで舞台を拡げ、一応は終息する。
北方は、「滅び」を書く作家だ。
通算51巻におよぶこの大水滸伝シリーズも、ついに滅びで終わるのか。
それもいい。
しかし、水滸伝からここまで読み継いできた読者としては、男たちが築いた理想が滅ぶとするなら、残念でもある。
岳飛伝も終わりに近づくと、それが気になってしかたがない。
で、先日読了したわけだが、納得できるラストシーンだった。
酒が飲みたくなる、いい場面で終わってくれたのではないかな。
おしまい