「嫌われる勇気」と「仕事は楽しいかね」からタスク管理を考える

「嫌われる勇気」で、哲人が述べる強烈な一言を、いつも思い出します。

計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に不可能なのです。

また、「仕事は楽しいかね」において、主人公のメンターであるマックスが、

「今日の目標は明日のマンネリ」

と言い放ちます。

両者はまったく異なる趣旨の本ですが、どちらにおいても、人生を計画し、目標を立てるということを否定してるように見えます。計画し、目標を立てるというのは、果たして本当に無意味なのでしょうか。

計画通りに行かないから計画しなくていいの?

「今、ここ」を真剣に生きれば、人生は常に完結する。それがアドラー心理学の教えのようです。仏教でいう「空」のようでもあり、あまりに難解です。

「嫌われる勇気」では、人生を登山にたとえる一節があります。山に登頂することを目標にすると、頂上にたどりつくまでは、本当の人生ではなくなる。そして、目標にたどりつけぬまま、終わってしまう人生も多い。

登頂できたかどうかで勝敗が決まるなら、大半の人の人生は、敗北ではないのか。

しかし、一歩一歩と登るその行為そのものを、真剣に楽しむことができたら、どうでしょう。ならば、なんらかの理由で次の瞬間に登山が終わり、登頂できなかったとしても、その人生には意味があります。

しかし。(しかしが二度続きましたが、これはぼくの迷いのあらわれです。)やはり「登頂」を志さなければ、山に登ることさえ、しないでしょう。よく、「散歩のついでに富士山に登った人はいない」というように、富士山に登るには、それなりの計画、目標が必要だからです。

マンネリになるから目標はいらないの?

「仕事は楽しいかね」において、マックスは主人公が述べた「目標」を否定します。

「今日の目標は明日のマンネリ」だと。

成功するには、収入を上げるには「試し続けろ」というのがマックスの答えです。

「目標」というものを立ててしまうと、それによって毎日の行動が硬直化し、マンネリに陥る、という意味でしょうか。

「仕事は楽しいかね」は読みやすく、快いカタルシスを得られるのですが、実は具体的なことはあまり述べていないので、難解です。ここでもやはり、目標の否定なのです。

「嫌われる勇気」と「仕事は楽しいかね」はまったく趣旨の異なる本ですが、それぞれが計画や目標を否定しているのはおもしろいところです。

この意味を考えるとき、ぼくはいつも、毎日繰り返しているタスク管理に思いがおよびます。

長期計画を年間、半期、月間、週間、と分割していき、そして一日にやることまで管理しています。

「嫌われる勇気」も「仕事は楽しいかね」も、こういったことを否定しているのでしょうか。いくら考えても、半ばまでは否定しているような気がします。

それでもぼくはこの2冊の本が好きで、ときおり読み返すのです。

「計画」と「実行」を区別し、計画は柔軟に変更する

今、意識しているのは、「計画フェイズ」と「実行フェイズ」を分けること。そして「朝令暮改」です。

「計画フェイズ」では、長期計画から今日やることまでをきちんと管理します。「実行フェイズ」に移れば、全力で一つ一つのタスクに取り組むわけです。

集中し、全力で取り組むには、もれなくタスクが管理されていなければならないので、やはり長期計画は必要なのです。

そして、全力で日々のタスクに取り組めば、計画していたことが無理になったり、新しくやってみたいことが出てくるので、それを長期計画にフィードバックしていきます。これが「朝令暮改」です。

朝令暮改は、立てた目標をすぐに変えてしまうという、本来はネガティブな意味で用いられる言葉ですが、これだけ変化が早い時代なので、もう良い意味でやってみるのもありでしょうね。

入念に計画し、目標を立てたら、あとは全力でその達成に取り組む。一日の終わりや、週末や、月末、あるいは年末といった節目にそれを見直し、必要があれば計画を修正し、また全力で取り組む。

今のところは、そうやって毎日を送っています。