その苦労は報われない 「報わる苦労」と「報われない苦労」の違いとは

今週は大阪出張へ。見たことない日本酒を飲みまくり、新しい案件も一気に増えた。

古くからの知人と話する機会もあった。どうも会話がかみあわない。知人は、働くということは苦労であり、苦労は報われる、という考え方。ひたすらに苦労を耐え忍べばいつか報われる、と。

「そういうの、いずれ行き詰まるかも」ということを遠回しに話したが、うまく伝わらなかった。なんだかもやもやするので、書いてまとめてみようっと。

苦労は食えない 生産しないと食えないよ

食っていく、ということはなにかを生産すること。労働=苦労、ではない。労働=生産。

モノでも、サービスでも、作って売って、利益を出して、それではじめて食える。シンプル。

しかし、労働=生産の「生産」が「苦労」に置き換わってしまってない? 苦労ってのは正しい方向なら報われるはずなんだけど、どんな苦労でも必ず報われる、と思ってしまうとちょっとまずい。

満員電車で通勤する、エスカレータやATMで並ぶ、会議でエラい人の演説を聴く、みたいなのは労働に含まれるとしても、生産ではない。会社って複雑すぎて、視野が狭まるから、そんな勘違いをしてしまうのかも。

わかりやすくするために、会社の仕事をものすごく単純に、稲作にたとえてみよう。

稲作というのは重労働で、苦労が大きい。しかし、苦労にたえて稲を作っていれば食べていけるかというと、そうではない。

いくら苦労したって、雨が降らなければぶちこわし。日光が少なくてもぶちこわし。台風でもぶちこわし。人間の苦労など、「天候」という不確定要素でいくらでもゼロになる。

冒頭に出てきた知人は「苦労は神さまが見ている。それはどこかで報われる」という考え。でも人間が必死こいて育てた苗に雨も降らせず枯らせてしまう、とか平気でやるのが神さまだから。

税を払い負債を返し防衛もして

で、苦労もして、天候もまあまあフツーで、やっとのことで稲が育ち、収穫できた。

でもそこで終わりではない。武家に税をもっていかれる。今年は天候不順で稲のできが悪いから税を負けてよ、という交渉もしないと。

米をもってる村は、野盗がねらう。武家がちゃんと野盗を退治してくれればいいが、ダメな武家はそれをしない。

だったらあっちの武家に乗り換えようか、もしくは自分たちで野盗を防ぐため武装しようか、というアクションも必要。当然、そこにもコストがかかる。

そういえば、去年の不作で食べるものにも困って商人から稲を借りたんだっけ。利子を計算して、本年の返済はこれでよし。……という営みがあってはじめて稲作組織である農村は食っていける。

その苦労とこの苦労はちがう

組織には当然、収入の格差があり、身分の上下がある。下層になるほど、単純労働であり、代替はしやすい。

たとえば、稲作組織の最下層に、このテキストを読んでくれている「あなた」がいたとして。

ひたすらに苦労をがまんして単純労働をくりかえすか。あるいは、稲作組織のあり方を頭に入れつつ、よりよい方法を上層に提案するかで、その後の人生は変わっていく。

たとえば、効率的に稲作できる道具を工夫して生産量が伸びれば、村の収入は増え、豊かになり、「あなた」の収入もアップするはず。

治水工事のスキルなんか持ってると、もう収入的には安心。身分も上がるはず。

単純労働にせよ、道具の開発にせよ、治水工事にせよ、苦労がともなう。それぞれの苦労の質は、まったく異なるけど。

だから、単純労働の人が、治水工事の人の収入を見て「オレも苦労しているのになんであいつだけ」となってしまうと、いろいろとこじらせる。実際、そういうオジさんはいっぱいいる。正直な話、ぼくもそんなところあるし。

ブラック企業が無くならないのは「苦労したい人」がたくさんいるから

信じられないようなブラック企業のニュースをよく目にする。そんなひどい労働環境が後を絶たないのは、ひどい経営者がたくさんいるから、ではない。

そんな労働環境で苦労することに価値がある、と思っている労働者がたくさんいるから。

 

「苦労は報われる」と信じる労働者が単純労働をくりかえすから、労働環境がいつまでたっても改善せず、ブラック企業が存続する。

今の日本の「行き詰まり感」の原因は、はこんなところにもあるんじゃない?

この負の連鎖をぶった切るには「教育」しかない。単純労働で額に汗して働くことが偉いのではない。道具の開発や治水工事を教えて、そっちで労働する者が偉い。そういう教育をして生産性を上げないと。

ひたすら同じことをくり返す単純労働はロボットのほうが得意なんだから。

おしまい